スペシャル対談 卒業生×在校生|神戸・甲陽音楽&ダンス専門学校 音楽・ダンス・俳優・声優
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スペシャル対談 卒業生×在校生

グラミー賞を3回受賞しているSNARKY PUPPYをはじめ、幅広い活動を
展開するパーカッショニスト小川慶太さん。
koyoの名誉教育顧問も務める小川さんと4人の在校生が、
学生生活や海外での経験、将来の夢について語り合いました。

スペシャル対談 卒業生×在校生

学んだり吸収したものをアウトプットすることで
初めて本当の意味で自分の栄養になる

小川
まず、僕がkoyoに通っていた頃の話をします。学校には積極的に出入りして、学生も先生も垣根なくカジュアルに交流していました。違う学科の友達ともいろんな話をして、練習室が空いていたら一緒に入って演奏する、みたいな感じの2年間でしたね。あとは、学校の外でも同世代の仲間とバンドを組んだり、今はもう閉店してしまった芦屋のジャズクラブでバイトさせてもらったり。その店に出入りしていた、神戸にある大学のジャズ研の学生とジャムセッションもよくやっていました。皆さんは、koyoに入学する前と後で大きく変わったことは何ですか?
倉沢
高校時代は吹奏楽部に所属して、指揮者の下で楽譜のある演奏しかしてこなかったのですが、koyoでセッションやアドリブを勉強するようになってから、楽譜があってもそれ以上の演奏をしようという気持ちが芽生えたと思います。
小川
僕は真逆で、最初ロックバンドのドラムから始めて、基礎的な部分は全く備わっていませんでした。ドラム譜は読めましたが、メロディーとハーモニーだけ書かれた譜面を見てアンサンブルするのはkoyoに入ってから。そこでどれだけ自分のクリエイティビティを出せるかは人それぞれで、どういう音楽を聴いてきたか、どういう人に影響されたか、それらが全部音に出るわけです。だから、若い皆さんはたくさん練習して、いろいろなものを吸収していくのがいいと思います。
想仁愛
私は、入学前はプロのアーティストのライブや映像を観て、そこから学んでいました。でも、koyoではすごい先生方から実際に教わることができます。口の開き方や舌の使い方など、自分でも気づいていないところまで丁寧に教えてくださるんです。同級生にも上手な子がいて、そういう子の歌声を間近で聴くと「ここはこうやって表現するんだ」というのを身に沁みて感じます。それで、自分の歌い方も大きく変わりました。
小川
僕の学生時代は、「やってやるぞ」という気持ちで練習して、でも思い通りにできなくて、また練習して、の繰り返しでした。10代から20代にかけては、練習すればするほどテクニックはどんどんついてくる時期なので、皆さんも頑張ってほしいですね。
上田
私も高校では吹奏楽部にいて、楽器と関わる時間は多かったんですけど、音響機材を触ることは全くありませんでした。だから入学後は何が何だかわからなくて。でも音そのものには興味があって、「ここを操作したら音がこう変わるんだ」っていうのがわかると、すごく楽しいんです。だから、koyoに来て挑戦することが増えたというか、向上心を持って物事に取り組むようになりました。
小川
実は、僕もPAをやっていたことがあるんです。高校生のときによく行っていたライブハウスでミキサーの使い方を教わって、アルバイトみたいな感じでPAをさせてもらっていました。上田さんもいろいろなことを覚える時期を経て、これから音の作り方にどんどん興味が出てくると思いますよ。
臼井
僕が入学前に演奏していたのはポップスやロックばかり。歪んだ音でコードをバーンと弾くくらいでしたが、映画「BLUE GIANT」を観てジャズにハマりました。そこからクラシックも聴き始めて、芸術性のある音楽に興味を持つようになったんです。koyoではジャズだけでなくいろいろなジャンルの先生から吸収することができて、ギターを弾くときの意識も変わりました。
小川
それぞれの先生が得意とする音楽のスタイルはみんな違うので、僕もkoyoにいた頃はレッスンを受けるたびに新しいことを覚えていました。でもそれだけじゃなく、吸収したものを外に出す機会を作ると、本当の意味で自分の栄養になっていくと思います。そのためには、ちゃんとステージがあって、お客さんがいるシチュエーションで演奏すること。僕はそういうのが好きだったので、特に意識することなくやっていました。失敗してもいいので、学んだら出して消化する。そうやって自分自身でインプットとアウトプットのバランスを取っていくことも大切です。

バークリーに行って一番よかったと思うのは
いろいろな国の人と音楽で繋がれたこと

小川
留学中はいろいろな経験をしました。今でも忘れられないのは、バークリー音楽大学があるボストンに着いた最初の夜のことです。若手ミュージシャンが多く出演しているライブハウスに遊びに行って、そこで行われていた演奏のすごさに度肝を抜かれました。僕は結構調子に乗りやすいところがあって、現地のミュージシャンのレベルはだいたいこのくらいだろうって勝手にイメージしていたんですけど、それが一瞬でかき消されて「、えらいところに来てしまった」と打ちのめされたんです。そしてバークリーでは、本当に世界中から学生が集まっていて、日本にいたら接する機会がなかったようないろんな音楽が溢れている。koyoに入学したときも、同世代の仲間が日本各地から集まっていましたが、それが世界規模になったみたいな感じでした。倉沢君と臼井君はバークリー留学コースで学んでいるんだよね?
倉沢
僕は地元が群馬で、音楽をやる友達はみんなロックに行くような環境でした。海外のすごいプレイヤーの演奏を実際に見て、いろいろ吸収したいと思い、留学を志望しました。
臼井
もともと僕はギタリストのジョン・メイヤーを好きになって、ギターのカッコ良さに目覚めたんです。そのジョン・メイヤーがバークリー出身で、師匠が日本人のトモ藤田さんだというのを知って、自分もバークリーで学びたいと思うようになりました。
小川
なるほど。僕がバークリーに行って一番よかったなと思うのは、やっぱり世界中の人たちと繋がれる環境があったこと。アメリカで音楽を学べる大学は他にもありますが、いろんな学校の出身ミュージシャンから話を聞く限り、バークリーが一番国際色豊かな学校ではないかと思います。先生が学校の外でやっているライブに呼んでもらって一緒に演奏する機会も多く、いろんな国の人たちと一緒に音を出していました。卒業前にはブラジルに3ヶ月滞在して、レッスンを受けたりライブを観に行ったりしたのですが、そこでブラジルの音楽を現地で聴いて教わることができたのも大きな経験でした。さっき想仁愛さんが言っていたように、実際に目の前で見聞きして初めてわかることってたくさんあるんですよね。それまでバークリーの授業で習ったりCDを聴いたりしても、どうしても残っていた曖昧な部分というのがはっきりと理解できて、自分の中でブレないものがその頃に出来上がったと思います。
上田
ミュージシャンとして、「壁」にぶつかったことはありますか?
小川
この世界はキャリアに関係なく、常にいろんな壁があります。音楽的な壁、経済的な壁、人間関係など......だから、いちいちクヨクヨしていられない。それをどんどんクリアすることによって乗り越え方もうまくなっていくし、精神的にも強くなる。年齢を重ねると、若くて才能のある人がどんどん出てきて、果たして自分はやっていけるだろうかと不安になるのも1つの壁です。僕がバークリーで教わっていた先生で、SNARKY PUPPYでも一緒にやっているパーカッショニストのジェイミー・ハダッドは、「自分自身をちゃんとわかっていれば、そういうことは気にならなくなる」と言っていました。まだ若い皆さんはいろんなことに影響されたり、気持ちが左右されたりすることもあると思いますが、自分は何ができて、何ができないかを知ることは大事です。あと、僕がkoyoに来たときにドラムの先生が言っていたのは「自分の練習の仕方を見つけることができた奴は、すごく伸びる」ということ。楽器の演奏も、歌も、音響機材の操作も、焦らず一つ一つ取り組んでいくうちに、自分のやり方というものが見えてくると思います。あとは、それをちゃんと体にゆっくり入れてあげることが大切。これは覚えておいてほしいですね。
想仁愛
自分の「見せ方」について考えたことはありますか?
小川
僕はどちらかというとフロントの人の後ろで演奏する立場なので、あまり意識したことはないかな。ただ、演奏家としてのアピールという点では、それこそアメリカは自分の意見を言うのが好きな人たちの集まりなので、ステージ以外のところも含めて、自己主張は本当に大切だと思わされることが多いです。「憧れの誰かみたいに演奏したい」というのを1回通り過ぎて、みんな自分のカラーをわかった上で言いたいことをちゃんと音で出しているし、それをお互いにリスペクトしながら演奏しています。日本は協調性を重んじる国なので、アンサンブルも綺麗にまとまる傾向がありますが、向こうのミュージシャンは枠からはみ出すことを怖がらないし、それでもいいんだと思わせる説得力があります。それも、実際にそういう演奏に接して初めてわかることですね。

皆さんのような若い世代が世界に目を向けると
これからの音楽の可能性も広がっていく

倉沢
今まで一緒に演奏したミュージシャンで、特に感動した人は誰ですか?
小川
本当にたくさんいますが、例えば初期で言うと、ブラジルから帰った頃に共演したチェロ奏者のヨーヨー・マさんは思い出深いです。さっき話に出たジェイミーが彼のプロジェクトに参加していたのですが、もう一人のパーカッショニストがスケジュールの都合で出演できないコンサートがあって、僕を推薦してくれたんです。リハーサルで音を出した瞬間、まるで溶けていくようなチェロの音色にうっとりさせられました。20代前半のよく知らない奴と初めて一緒に演奏するのに、とてもフランクかつリスペクトを持って接してくれて、そういうところでも一流のミュージシャンは素晴らしいんだなと思いました。最近の例だと、セシル・マクロリン・サルヴァントというジャズシンガーには驚かされました。僕もたくさんのボーカリストと一緒にやってきましたが、彼女とライブで音を交わし合うときの感覚は他の人と全く違います。バンドが何をやっても常に一緒にいて、どんなタイミングでも絶対に入ってこれる。インストゥルメンタルの曲をやっているのかなと思うくらい、本当にすごいんです。なおかつ、一緒に演奏しながら、オーディエンスとして聴いていると錯覚させられるような歌い方。とんでもないボーカリストです。僕もレコーディングに参加した「Ghost Song」というアルバムは、SNARKY PUPPYが受賞した2023年のグラミー賞でジャズボーカル部門にノミネートされました。その次に出た「Melusine」というアルバムも素晴らしいので、もしよかったらチェックしてみてください。
臼井
グラミー賞という大きな成果を上げた小川さんの、今後の「夢」は何ですか?
小川
楽しい音楽をずっと続けていくことですね。グラミー賞といっても1つの賞に過ぎないし、ノミネートされる人も受賞する人も、日本でニュースになるより遥かにたくさんいるので、向こうの人たちはそこまで気にしていないんですよね。だから普段通り、いい音楽を作っていけたらいいなと思っています。最後に、僕も皆さんの「夢」を聞いていいですか?
倉沢
僕は昔から、いろんなことを知りたいと思っています。音楽だけじゃなく、芸術って無限じゃないですか。それを、生きている間にたくさん自分の中に取り込んで、カッコいいお爺ちゃんになりたいです。
小川
自分の好きなことをずっと続けるのは決して簡単じゃない。でも、そんなふうに妥協しない生き方ができれば、きっといい歳のとり方をすると思います。
想仁愛
私は日本を代表するシンガーになって、ドームツアーを成し遂げるのが夢です。
小川
そのときは僕を雇ってください(笑)。これは冗談で言っているんじゃなくて、僕も皆さんくらいの年齢のとき、自分がすごく憧れていた人と一緒に演奏したりしていたから。決してありえないことではないんです。
上田
実習でとてもしっかり動いている先輩がいて、その人みたいになりたいというのが近い目標です。将来的には、「この人がいないと現場が回らない」「この人じゃないとこういう音にならない」と思ってもらえるような人になりたいです。
小川
そういう人が身近にいると、いいお手本になるよね。僕も周りにいいお手本がたくさんいたから、今の自分があると思っています。皆さんも、そういう人のことをしっかり見て、真似していったらいいんじゃないかな。
臼井
いろんな形のポピュラーミュージックが出てきている中で、僕はもっと芸術的な音楽を作って新しい時代を作りたい。それを日本から世界に発信していきたいです。
小川
とても壮大な夢ですね。日本の音楽は、アニメなどのカルチャーに比べるとまだまだ世界に知られていなくて、例えばK-POPの認知度とは全然違うけど、皆さんのような若い世代が外に目を向けることで、日本の音楽の可能性はどんどん広がっていくと思います。僕もそういう未来を楽しみにしているので、頑張ってください!

PROFILE
82年生まれ。長崎県佐世保出身。koyoを卒業後、2年間東京で活動した後、2005年にバークリー音楽大学へ入学するため渡米。卒業後、ヨーヨー・マ、アサッドブラザーズ、クラリスアサッドなど、世界のトップアーティストたちと共演する。J-SquadやSnarky Puppyといったグループで活動するほか、MISIA、東方神起らの作品に参加。Snarky Puppyとして、米音楽業界の最高の栄誉とされる「グラミー賞」を2017年(第59回)、2021年(第63回)、2023年(第65回)受賞。滋慶学園COMグループ名誉教育顧問を務める。現在はニューヨークを拠点に世界中で活躍中。

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